初めまして。お悩みの話し相手・傾聴メンバーの「阿倍 祥子」(あべ しょうこ)と申します。
- 自分は誰からも、どこからも必要とされていないんだ、という孤独感。
- 特定の人物への怒りや憎しみ、恐怖感。会っていない時は妄想がさらに膨らむ苦しさ。
- 世の中はどうせこういうもの、金・立場・モノが重視で自分の居場所はないという虚しさ。
- 宗教に身をゆだねる渦中の「使命」と「依存」の葛藤・金銭感覚の麻痺・自己不在感。
- 自分は一体、何に向いているのか、何をしたいのかが分からないという不安感。
- 生きていて楽しくない、何を見ても楽しくない、する気にもなれない無気力。
- 父親・母親のあの言葉、あの時の仕打ちが許せない。肉親間の不仲の苦しみ。
- 借金返済に焦るが、朝起きられず仕事に行けず、転職を繰り返したり生活苦など。
その思い、叫びを、そのまま受け止めさせていただけますでしょうか?
私はあなたのそばに一緒に座っている、そんな感じでおります。
かかえてこられた不安や恐怖で、外に出ると、行き交う人・でくわすことに過敏に反応して、身体も心もヘトヘトかもしれませんね・・・。
部屋で床にへたって、起き上がることができない・・・。
投げ出している腕を動かす気力もないくらいに・・・。
そのままで大丈夫ですので、少しずつでもお話いただけましたら・・・と思います。
「何からどう話していいのか・・・」、言葉にならない言葉でも、そばで支えるように受け止めさせていただきます。
「こんなこと言ったら、どう反応されるか、コワイ・・・」
「変に思われながら、かわいそうな人とか思われながら聞かれるのはイヤだ・・・」
相手の先入観や固定観念で評価されるんじゃないか、という不安がおありかもしれませんね・・・。
私は「感情よりも深い、心の奥にある想い」を見つめながら聴かせていただくことを、いつも心に思っています。
耳だけではなくて、体全身を使って、できれば心でお話を聴かせていただきたい、そのように思っています。
今、ご自身を取り巻く環境の中で苦しんでいらっしゃるとしたら、あなたはそれだけ家族や他人の分までストレスを感じる「やさしさを持たれている方」なのではないでしょうか?
ストレスに長く耐えて苦しい感情を出さないよう、精神力で抑え続ける中で、ご自分の想いがどこにあるのか、どんな想いなのか、わからなくなったのかもしれません。
それもいっしょに、あるものを出していただけますでしょうか。ぽつりぽつりでも・・・機関銃のようにでも。
感情よりも深い、奥底にある、あなたの「本音中の本音」を見つめながら聴かせていただきたいです。
「ずーっと、何もやる気になれないから・・・」
「こんな自分に明るい未来なんて、ぜんぜん、あり得ない」
そのままで大丈夫ですので、お話いただけますでしょうか?
聴かせていただき寄り添わせていただく中で、ご自身の中から、ふつふつと出てくるものが感じられるかもしれません。
ご自身から出てくる「本来のあなた」・「本当の思い」・「本音中の本音」。
それは前に読んだ本の話でもなければ、成功哲学のプラス思考でもありません。
誰しもの中に備わっているものと言われております。
そこから意識をそらさず、お話を聴かせていただきます。
どうぞお気軽に声をかけてみてください。お待ちしています。
ご予約は、コチラから受け付けております。
傍から見ればどんな小さなことでも、大きなことでも、その渦中のあなたは、ほぼ24時間(もしかしたら寝ている時も)つらい思いでいらっしゃるかもしれません。
もしかしましたら、人生八方塞がりと感じていらっしゃるかもしれません。
こんな状態だから変だとか恥ずかしいとか、というのはないと、私は思っています。
否定せず、かぶせたりせず、お話を聴かせていただきます。
話していかれるうちに、やがて張りつめていたものがゆるんでいって、「ああ、わかってもらえた・・・」と、ほうっとした、じんわりと湧いてくるものを味わっていただけたら、とても嬉しいです。
「あ、あたしでいいんだ・・・」、「わたしがいい・・・」、「これでいいんだ・・・」というような感覚も出てこられるかもしれません。
そして、今までいらっしゃった場所(状態)よりも、少し高い所にご自身がいると感じられるかもしれません。
高い所から見ると、ちょっと前までは見えていなかったものが見えてきたり、広く見えるようになってきたり・・・。
まぶたが1ミリ開くように、ほんの少しずつ・・・。
あるいは瞬間的に、「ぱっ」と目が覚めるように見えるかもしれません。
やがて、もやもや渦巻いていた暗雲が少し、また少しと消えてきて、「ちょっと動けるかな」という思いや、「こうしてみたい」というアイデアが、あなたの中から、ふつふつと湧いてくるかもしれません。
そんなご自分に気づいて、ほうっとしたり、いとおしくなったり・・・。
「今はとてもそんな風になるとは思えない」というお声に寄り添いながら、あなたがあなたらしく、本来のあなたが出ようとされているのでは、と。
支えるような思いでお話を聴かせていただきたいと思っています。
家族が心のトラブルで、長年、追い詰められていました。
「何とかしたい」
でも、家族の訴えがどこまで事実で、どこから妄想なのか境目がわからず、腫れものに触れる感じでした。
家族というのはつながりが深いのでしょうか。
私も不安や恐怖を感じ、外のものに過敏に反応するようになります。
病院に行けば病名がつけられ、薬に頼る毎日だったと思います。
家族で共倒れしそうな八方が塞がった感じでした。
ところが私自身の中に、自分の行く道がちゃんとあることに気づいて、生命力といいますか生きる力が湧いてきます。
やがて、家族もおのおのが元気を取り戻しました。
生きた心地のない日々から蘇った、生き返ったという感じです。
そこに至るには、苦しみ悩みをしっかりはき出して、ウミを出しました。
そのことを、真剣に聴いてもらえたことがとても大きいです。
しかも、その聴き方にあります。
家族や私のことを「変な人」とか「かわいそうな人」などと見ず、ありのままを受け止めて、「感情よりも深い、心の奥にあるもの」を見つめながら聴いてもらえました。
だから、安心して自分を出せたのだと思います。
支えるように聴いてもらうことで、人は蘇えることもできるかもしれないと思いました。
私のつたない体験ですが、これが機となりまして、心の重荷を受け止めて、共に歩むお手伝いをさせてもらいたい・・・。
その想いが自然に湧いてまいりました。
私は、学校卒業後、定職・結婚・出産・マイホーム・・・という思いがなく、ちょっと人と違うことをしてみたい思いから、東南アジアの学校で先生をしました。
日本の学校よりも、家庭と先生の距離が近く、親ごさんの希望でよく家庭訪問をしました。
子どもや親ごさんの、身近な存在でいたいと思っていました。
帰国後は、社会福祉士取得の勉強をしながら、介護の仕事に就きました。
ケアマネージャーという職種がない時代で、利用者様の生活のお世話をさせてもらいながら、お悩みをうかがい、関連機関と協力して、できうるサービスのお手伝いをしました。
家族がいても一緒に暮らせず、最期は施設か病院で亡くなって、施設と提携するお寺に無縁仏として引き取られる方々を見送りながら、人の「孤独」というものを深く感じるようになりました。
私は人にどう見られるか、どう思われるかがとても気になり、人と比べては自分を卑下していました。
自信のなさが出るのか、友人に「あべちゃん、もっと自信もちなよ」と言われたり・・・。
「あの人は私をこう思ってる」と妄想して人間関係に疲れたり・・・。
「孤独」・「自信がない」・「妄想する」・・・、私は自分をこういう人間だと思っていました。
ところが上記の『なぜ傾聴メンバーになろうと思ったのか?』の体験によって、本当の私は、そういう人間ではなかったことに気づきます。
長年の「思いこみ」や「とらわれ」のようなものが、少しずつなくなる感じと合わせて、自分と周りに変化が起きるようになりました。
進むのを迷っていた仕事を、無理なく始められたのはその一つです。
「あぁ、私はこういうことをするために生きているのかな(少し大袈裟ですが…)」と、私らしく生きている感覚でいます。
お気軽にお声がけください。 よろしくお願い致します。
○ 教員免許(幼・小・中・高)