誰にも届かない声の中で

ふと気づくと、まるで音のない部屋にいた。
雨の音すら、もう鳴っていない。
スマホの通知も、誰かの声も、まるで止まってしまったかのような静けさ…
手元にあるのは、読みかけの本と、ぬるくなったコーヒー。
でも、どちらにも、心が向かっていかない…
言葉にならないこの感じを、誰かに伝えたかったのに、伝えようとした瞬間に「やめとこう」と思ってしまう。
たぶん、また「気のせいだよ」とか、「そんな時もあるよ」とか言われるだけだから …
それが、いちばんつらいって、気づいてすらもらえないから…
かつて、どうしようもなくて、「もう無理かもしれない」って、勇気をふりしぼって誰かに言った夜がある。
でも返ってきたのは…
「気持ちはわかるよ、でもさ、みんなそうだよね」
「そんなこと言ってる暇があったら、さ」
… そんな「正しいけど、冷たい言葉」だった。
あのとき …
「ああ、私の声は、もう誰にも届かないんだな」って思った。
それから、黙ることを覚えた。
大丈夫なふりをして、笑うピエロを選んだ。




だけど、本当は、ずっと誰かを待っていたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
話を聞いてくれる誰かじゃなくて、ただ、そっと隣にいてくれる人。
言葉が出ないときも、沈黙のまま、私の気配を感じてくれる人。
「なんとかしよう」としないで
「励まそう」ともしないで
ただ、私のこころの湿った空気に一緒に佇んでくれる、そんな存在。
もしかすると…
どこかで誰かが、いま
誰にも届かない声を、胸に抱えているかもしれない…
でも、こうして誰かが読んでくれているということは、
きっとまだ、どこかで小さな希望を手放していないということ、かもしれない。
感じている何かがあるとしたら、その声が完全に消えたわけじゃない。
静けさの中で震えているその想いに、私は、そっと耳を澄ませたい。
どうか、何かを感じている声にならない、その声を …
「なかったこと」にせず
「大げさだったかも」なんて打ち消さず
そっと、自分の内側で抱きしめてあげられますように願いを込めて …
誰かに届かなくても、自分自身にはどこかで聴こえているから …
そして、ここにも、沈黙に耳をすませているひとが、います。




※ 本記事の内容は、特定の個人やセッションの事例ではありません。記載名称はすべて架空のものです。
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