「話を聴くよ」と言ったくせに…
── 消えかけた小さな糸屑の行方

はじめに
※この文章は、精神的に深い苦しみや失望、人間関係における裏切り・無理解の体験が含まれています。
これまで誰かに傷つけられた経験のある方、心が揺れやすい状態の方は、過去の記憶や感情が呼び起こされる可能性があります。
今のご自身の状態を大切にしながら、読むかどうかを判断してください。
この文章は、「聴いてもらえなかった体験」を、当事者の言葉のままで描いています。
「話す」「聴く」というプロセスの重みを、本気で受け止めたいと思っている人に届けば幸いです。
単に「傷ついた人の物語」に留まらず、傷つきやすさを持つ人が、そのままの強さで生きていくための「宣言」であり、「証言」であり、そして、その遠くにあるのは「本質的な灯」に歩んでいくための願いを込めています。











… あの夜
時間の中で、わたしは、あるがままに話した。
ずっと寝ていなかったし、食事も取れていなくて、頭ももうろうとしていて、細かくなんて話せなかったけど、時間内でできる限り、奥の奥を言葉にした。
声が詰まって、何度も喉がつりそうになった。目眩すらしてくる…。
時間の中で話せるところは、どうしたって限られるけれど…。
息を吐くように、泣きながら、いや泣きそうで涙も出なくて、なぜか時折、明るく笑いながら、沈黙をはさみながら。
ふぅーと息を吸いながら。咳き込むけれど…。
向こうは、たしかにずっと相づちを打っていた。
ときおり頷いて、たまにお茶を口にして、またうんうんと。
途中でトイレに立って、そのまま戻ってこなかったらどうしようって思ったけど、戻ってきた。
ずっと、しゃべっていたのは、こっちだ。
それでも、聴いてくれているように見えたから、信じた。
信じてしまった。
終わり際、「ほんとうに、話してくれてありがとう」って言われた。
それだけなら、まだよかった。











そのあと、こう言われたんだ。
「いや、わかるけどさ、それって過去にこだわってるだけじゃない?」
「それって、自分が変わろうとしてないからじゃないの?」
「同じ話、何度もしてない?」
「周りがみんな悪いって思ってたら、そりゃ楽だよね」











そのとき… 瞬間的に脳内をよぎる。
(あぁ、そんなことは重々、分かっている。
きっと、そういう視点では、あなたより私のほうが痛感してきて、学びもしてきて知っているし分かっている…
そういうことじゃないのに、一体、この時間、この人は何を聞いていたのか… ずいぶんと内心で軽視してくれていたもんだな。)
そう、脳内をよぎってしまった瞬間 …
話しながら、慎重に紡ごうとしていた細く細い糸の先が、無慈悲にひっぱられて、音もなく静かに切れた音がした。
いや、切れたというより、無惨に霧散して、たんぽぽの綿毛のように、すり抜けてどこかに消えていった ……
(あぁ… もう戻せない… 戻すのに何年かかるのか… )
指先に、かすかに乗り掛かっていた、綿毛のような細い糸先…
ふわふわ消えそうになる、その先を、そっとそっと手繰り寄せて、ほんの少しでも紡ごうと息をこらしていたのに…
いきなり、吹き飛ばされて空中に霧散して消えて、あぁ、消えた糸の先には、何があったんだろう… もう、わからない…
同時に、胸の奥でグツグツと煮えたぎる、刹那的な何かが湧き出てきた感じがした。
嫌な感じ…。こんなのが自分の中から湧き起こってくるなんて…
グツグツとしているけれど、もうそれは力もなくて、ただ哀しみしか感じない深海に沈んでいくだけ…
ぼう然となす術もなくなって…
そうして、心の奥で、名前もつけられない何かの感覚が、強く全身を襲って覆い尽くしてきた。
あぁ… きっと、これは一生消えないで刻み込まれてしまうやつだ… 消えないやつだ…
なんで、こんなのを与えられないといけないんだ…
その場で、頭を抱えてうずくまりたい衝動にも駆られた。
うずくまってても、しょうがないし、そんなわけにも行かないけれど。
立っている価値すらあるのか…?
相手の顔を見ると、まるで「はい。分かったから、お話にお付き合いもしたから、そろそろ一般的に化けなさい」とでも言いたげに見えてしまう。
そんなつもりはないのかもしれないけれど… 分からない。無機質なプラスチックで造られた仮面にしか見えない。
もう何も言えなくて、後頭部から、ガッツンと殴られる痛みとともに、グワングワンと目玉が飛び出そうな感じもする。
ちゃんと眠れて食事もできて、頭もはっきりしていて嘔吐感もないような状態だったら、すんなり、そうだよね、と捉えられたんだろうね。
でも、そんな状態なら、そもそも話さなくてもいいんだよ。わざわざ。











過去に数えきれないぐらい、捉え方を変えようとして、どれだけ壊れたか。
あなたは知らない。
受け止めようとして、どれだけ潰れたか。心だけでなく、身体だって。人間関係だって。
あなたの何も知らないその言葉で、私の苦しみは、「思い込み」扱いになった。
まだ一部しか話していなかった、私の何十年もの現実は、たったひと言で「そう思っちゃう性格」として効率よく処理された。
部分は切り取られ、まるで全部にすり替わった。
その瞬間、相手に対して「あなたには想像もつかない、もし同じ現実が覆いかぶさり続けていたら、あなたには耐えられないんだろうね」というのが、直感的に確信のように感じられた。
もちろん、うなるだけで言わないけれど。
それでも、口元だけは笑った。
「うん、そうかもね」って言ってあげた。
聴いてくれたから。
この一言やお茶の一杯の代金を持つことぐらいが、その御礼にはならないけれど、あなたの自己満足の足しになるのなら、もうそれで幸いだよ。
なんとなく、気がつかないうちに、私だって誰かにそうしてしまったことがあるようにも思えて、あぁ、自分も含めて人って、そうしてしまうんだ…と、誰を責める気にもならなかった。
どんな経験をしていようと、たとえ、この人がどれだけの「波乱万丈」を自認していて、それでSNSで人気だったとしても…
「人の旅路は、他人には分からない」という態度条件が薄いと、人の心を切り取らって枠に嵌めてしまっても気がつけないのかもしれない。
同じところまで感じ入っていかないと、どれだけ聴いていたとしても…
気がつけなくて、どうにかしてあげたい気持ちが勝ってしまうってあるんだな…と。
そこには、大抵「悪意はない」と皆いうけれど、アドバイスしている側の承認欲求を満たしたいって欲望が、どこかにあったら、それはどうなのかな…。
たとえ、悪意というほどではなくても、正しくもないよね。
どうでもいいけど、慢心って怖いね。











そんなことが、ぐるぐる思いたくもないのに駆け巡ってくる帰り道、歩いている感覚も薄れてきて、手が震えてスマホを落としそうになった。
帰宅して、洗面所の鏡の前で、ずっと突っ立っていた。
何の顔してるんだろう…って思いながら。
浴びるように強いアルコールに浸りたい衝動に駆られたが、これは危ない衝動だな…帰ってこれなくなるとも感じて、しばし何もせず、ぼぉっとしていた。
帰って来れなくてもいいけれどという感覚を、足にまとわりつく猫たちのぬくもりが止めてくれている。
この子たちには、本当に… どれだけ助けられているんだろう…
あのとき、話した時間は、全部むき出しの自分だった。
なのに、それを「ありがちな話」として処理されるなら、もう二度と誰にも見せたくない。
見せてはいけないのだろう。許されないんだよね。血筋の中でも突然変異だから。
「話、聴くよ」と真剣に言ってくれている人でも、大抵は嘘というか自己満足のようなものでしかないのだと、分かっていたのに、また思い知った。
何をやってるのか…。
あまりに、どん深でシリアス過ぎると、まともに聞けないし、本心で聞こうともせず、バカにしているのが透けて視える。
あなたの想像つく範囲でしか、話してはいけなかったんだね。
その「枠内」でないと…。
そのくせ、自分だけは「親切な人」でいたいからと、人を利用して話させて、しまいにもっともらしいアドバイスを言ったり。
またはアドバイスまでは言わなかったとしても、「大変かと思うけど、身体を大事にしてね」のように同情のように締め括ってきて、フェードアウトしていく。
そりゃ、そっちからしたら他人事だし、巻き込まれたくないし、時間だって楽しくもなく疲れるんだろうね。
だったら、最初から「話、聴くよ。辛かったら言ってね」なんて、なんで言ってきたのかな?
そこには、どんな気持ちがあったのかな?
信用して話させておいて、最後はバカにしたり蔑んだり、しまいには同情してきたり。
こっちが辛く、あり得ないぐらいの心理状態になっているからとしてもね、誰かの自己満足や承認欲求を満たすための材料ではないんだよ。
「尊厳」って言葉、知ってるかな?
教科書の中や、道徳のお時間の言葉ではなくて。
外は昼間で明るいのに、いまだにカーテンすら開けられないまま…
立ち上がれないまま、固まっている…
前にぐっすり眠れたのは、いつだっただろう…
せめて、傷をえぐって増やすような関わりだけはして欲しくなかった…
二度と人を信用できないし、したくもない。
なんだ、この感覚。さらにまた、人間不信で対人恐怖が強まったか。
親身になろうとしてくれたんだろうけど、最初は、感謝の気持ちも感じていたのに、もう許せなくなっちゃったよ…
人の気持ちなんて、移り変わってしまうもんなんだな、と、自分でも思う。
信用しようとしていたのに… 分からないよね。別の人間だし。
ただね、そのままを尊重するよ、みたいな、耳障りのいい言葉を言って来ておいて、実際は裁くのって違うと思うんだ。
それって、嘘だよね? 嘘と同じだよ。
自己満足で関われる程度の話でなかったから、裁いたんだよね。
それなら話さなかったのに、私ばかりが、そんなに悪いのか…
なら、なぜ私は生まれて来て、存在しているのか…
生きていては、行けない人間なのか?
その人たちにとっては、きっと、そうなんだよね…
大抵は、そこまで言ってこないけど、本当に、そう言われたことだって、何度あったか…
その度に、この人の顔に何が張り付いているんだろう…って感じられてしまうときが増えてきた。
造られたマスクが、剥がれかけていくとき… その隙間から…











それでも私は、本当はこんなところで終わりたくないけど、終わりたい。
でも……… だれが、こんなところで ……
外側から見て、何があろうとなかろうと、どっちでもいい。
そんなの関係ねぇ… なんで、人に決められないといけない?!
私の存在には、何か理由があるはずと、心の底から何か遠くから湧き出てくる、何かがあるんだ…
聴けないなら「聴くよ」って言わないで欲しかった。
あの時は、呼吸すら苦しくてゼエゼエしていて、目もぼやけていて、聴ける人かどうかの判別もつかなかった。
聴くって、ときに、相手の痛みが自分の「目先の快適さ」を壊すかもしれない時間にたたずんで、一緒に感じ入って受け入れるってプロセスだ。
「それ、わかる」・「そういう人いるよね」・「私も似たところある」
そういうインスタントな"消しゴムの言葉"で、ふるえる命の灯を、かき消さないでほしい。
お願いだから。
聴けないなら、最初から言わないで。
「話してね」なんて、軽く言わないで。
わたしは、あなたの充足感・自己肯定感・自己効力感のための、素材じゃない。











あとがきに代えて
誰かを信じて話したその行為が、あとになって自分自身を責める原因になるのなら、そんな世界、ほんとうは間違ってる…と、私は思いたい。
でも、 こんなにも心の奥が叫んでいる……。
「生きていてはいけない」と思いながら、
それでも「終わりたくない」と思ってる。
誰にも言えないけど、わたしは、まだ、信じたい。











最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
どこにも出せなかった言葉や感情を、今も胸の奥に抱え続けている人は少なくありません。
本当に「聴く」という営みは、ただ耳を傾けるだけではありません。
もちろん、スキルを披露するための「ショー」でもありません。
(スキルが不要と言っているのでもありません。)
それは時に、揺れ動く命の灯にそっと手をかざすような、深い覚悟のともなう行為です。
もし、あなたが、誰かの痛みに寄り添いたいと願う人であれば…
もし、あなた自身が、「もう話すのはやめよう」と心を閉ざしかけていた人であれば…
少しでも、このストーリーが、「本当の声」に触れるきっかけとなれば本望です。
ほんわか倶楽部では、たとえば、ここに書いたような内容も踏まえたうえでの傾聴メンバーさんのみとなっています。











※ 本記事は実際の体験をもとにしていますが、人物や場面には創作を含みます。現実とフィクションの境目にある、心の記憶をたどったひとつのかたちです。

