わかりあえなくても 傍にいる

ちがう存在として 傍にいる
誰にも語れずにきた 記憶があります
笑顔の裏に ひっそりと隠れていた出来事 ──
あのとき 口にできなかった言葉に秘めた想い ──
胸の奥に沈めたまま 誰にも触れさせなかった痛み ──
心の奥に、そっと置き去りにされた感情が、静かに息をひそめているように感じるときがないでしょうか?
誰かに寄りかかりたいのに、どう寄りかかればいいのか分からない …
自分の思いを伝えたいのに、言葉が出てこない …
そんなふうに、自分の感情にさえ届かなくなる時間が、ふいに訪れるとき …
なぜ、こんなにも伝わらないのだろう ――
なぜ、こんなにも… ワカリアエナイのだろう ――
そんな想いが、胸の奥をざわざわと揺らし、言葉にならない息苦しさが、静かに広がっていく瞬間。
言葉を選びながら伝えたのに、想いがすれ違ってしまったとき …
同じ空間にいるはずなのに、心の距離ばかりが離れていくように感じたとき …
誰かに理解してほしくて、それでも届かず、力尽きてしまった夜 …
「… きっと誰にも、自分の本当は届かない」
… そう思ったとき、心の扉が少しずつ
ときに音も立てずに、または激しい金切り音をあげて閉じていく…
… その静けさは誰にも気づかれないまま、金切り音は誰にも理解されないまま
じわじわと、哀しみを苦しみを、虚しさを根強く沈殿させて、いずれ痛みすらも麻痺させていく…
そうしないと生きていけなくなるから …
誰かと一緒にいても、どこかで孤独が消えない …
笑ってはいても、内側には虚しい空白が奥のほうまで、ダークグレーかのように広がり続けている …
信じたい相手がいても、なぜか恐れや疑いのほうが先に立ってしまう …
そんな感覚に包まれる場面が、うんざりするほど、まるで当たり前になってしまうほど …

届かない想いの奥に
私たちは、日々さまざまな感情を抱えて生きています。
うれしさ、さびしさ、安堵、不安、期待、落胆 ──
怒り、後悔、やるせなさ、虚しさ、焦り、嫉妬 ──
信じたいのに信じきれない迷い ──
手放したはずなのに疼いてくる過去 ──
どうにもならない現実への苛立ち ──
伝わらなかった悲しみ、置いてきぼりにされた寂しさ ──
どうしても埋まらない欠落感、愛されたかった願い ──
声を上げられなかった夜のくやしさ ──
もう、大丈夫だと思ったのに、不意に押し寄せる不安 ──
何もしていないのに、責められているような疎外感 ──
心の奥で、静かに凍ったままのあきらめ ──
過去を赦せない自分、優しくなりきれないことへの罪悪感 ──
頑張っているのに誰にも気づかれない虚脱感 ──
「わかってほしかったのに」と、握りしめてぼやきたくなる悔しさ ──
そのどれもが、胸の内側で重なりながら、表に出せないまま、言葉にもできないまま
静かに、確かに、私たちのいのちを揺らしているのかもしれません。 ――
その奥には、言葉どころか声にもできない「空虚さ」や「切なさ」が、ずっと昔から沈殿しているような感覚が、どこかにあるのかもしれません。
とても個人的で、誰にも届かないように感じてしまう …
それは、もしかしたら、自分一人だけのものではなく、優しさの裏にも、笑顔の下にも、誰もがそれぞれ「触れられない場所」を持っている … のだとしたら …?
もしかしたら … 実はそうなのだとしたら …?
どうなのだろう …?
苦しみが楽になる何かが、もし、そこにあるとしたら…?









苦しみを持っている人間同士なのに、なにが、私たちのつながりを阻んでいるのだろう…?
どうしても埋まらないもの
たとえば――
精一杯、頑張ったのに、誰にも認めてもらえなかったとき ──
信じていた人から、説明もなく離れられてしまったとき ──
ふとした一言で、ふさがっていた傷が、再び開いてしまったとき ──
そのとき心に浮かんだ落胆や失望、怒りや苛立ち、嫉妬や不信、どうしようもない寂しさや不安の裏側には、何があったでしょうか…
もしかしたら …
「どうか、見つけてほしい …」
「信じてほしい …」
そんな切実な願いが、強く感じられていたときがあったかもしれません。
そうではなくて、ちがう違う想いが頭をもたげていたかもしれません。
ふと思うのですが、そうした「欠けているような感覚」は、もともと、私たちの内側にあったものではない気がするのです。
「ちゃんとしなさい」と繰り返された幼い日々。
比べられることで心をすり減らしてきた経験。
期待に応えようと、無理を重ねた静かな努力。
黙って傷を抱えてきた、あの夜。
生きるためと思ってしてきたそういった積み重ねが、「私はまだ不充分だ」・「このままでは愛されない」などの非合理な刷り込みを、私たちの心の奥深くに沈めてきたのかもしれない … 。
この刷り込みの危うさ… 薄々、感じられているものかもしれません。
この危うさは、つながりを阻み壊していく、終わりの始まり話も創り出してしまう危うさの… ひとつだったりしないでしょうか?









いつだって私たちは、危うさを内在しているとしても…
本当は …
本当は、もう充分だった… のでは?
私たちはもう、充分すぎるほど頑張ってきたのではないでしょうか?
たとえ、こころでどれだけ自己否定が醸し出てきたとしても、誰かと比べる必要なんてなかった。
評価や期待に応えなくても、すでにここにいるだけで、かけがえのない存在だった。
「足りない自分」を演じなくても、そのままで、ちゃんと生きている。
そう「信じてみる」ところから、ほんとうの癒しが始まるのだと思います。
信じる力は偉大で、自分の世界は哀しくても、自分が変えるしかないのだとしたら……
哀しくても … なんで?と思えたとしても …
証明しようとしなくていい。
うまく言葉にできなくても、かまわない。
自分という存在が、すでに、ここにいる ――
その存在は、どこか遠くに探しに行くものではなくて、静かに内側で息づきながら、これから育まれていくものなのかもしれません。
もし少しずつでも、胸の内を話し出すときを、柔らかい空間の中で始められるなら ――









わかりあえないまま そばにいる
私たちの内奥には、まだ触れられていない、でも、確かにそこにある「静かな満ち足りた感覚」が眠っています。
それは誰かに与えられるものではなく、生まれたときからずっと、呼吸のように寄り添ってくれている本能的な感覚。
「ちがいがあっても、つながれる」
「同じじゃないからこそ、大切にしたい」
そんな想いが奥底から芽生えたとき、私たちはようやく、自分にも他者にもやさしくなれる気がします。
人との「ちがい」は、ときに傷を、痛みを、哀しみを、怒りを、恨みを生み出します。
場合によっては、どうしようもない苦しみや絶望さえも、絶え間なく怒涛のように生まれてしまうときがあります。
「わかり合えないこと」は、底なし沼のように辛く、苦しく、その重さに、ただ呆然と立ち尽くすしかない ……
簡単に乗り越えるなどと、本当は言えるものではないと思います。
……それでもなお、私たちは、どこかで本能的に感じてしまうから苦しいのかも、しれません。
それと同じだけの深さで、私たちは――
「それでも、そばにいたい」と願う存在にも、なれるのかもしれません。
わかりあえないまま、それでも「そばにいたい」と願える関係こそが、きっと本当のつながりとなるものとも思います。









閉じたままの扉へ
苦しみの始まりは、「切り分けること」だったのかもしれません。
人を遠ざけること
自分を責め続けること
「どうせ、理解されない」と決めてしまうこと
そうして自分自身を守るために、心の扉が一枚ずつ静かに、ときに激しく閉じていく …
それが、どうしようもなく、強固な鉄の扉になってしまったようでも …
本当は、内側まで完全に壊れてしまったわけじゃなくて、また新しい空間を創って、少しずつ開いていけるのだとしたら … ?
もし、ほんのわずかでも扉に触れてみたいと思えたときにも、私たちは、そっと、でもしっかりと傍にいます。









あたたかさに 触れるリ・ボーン(再生)に
もし、今日の心が、少し冷えていたなら …
前を向こうとしなくても、無理に立ち上がらなくても、ただ、自分の声を聴いてあげる…
ただ、佇んでみる … たとえ、ひとときでも …
ひとりじゃなかった
少なくても、私だけは私の傍にいる
私だけは、私の味方で居続ける
そんな嘘みたいな、だけど、いのちに響く ひとしずくの感覚が、どこかでまた、そっと蘇りますように ……
いつかの今ここから、新しく創り出せていけますように …
そしてそのとき、隣にいる誰かと、たとえ言葉にならなくても …
静かに、響き合える時間が訪れますように ──









あとがきのようなもの
もし、「自分に重なる」と感じた一節が、どこかにありましたら …
それは、あなたの中にまだ息づいている、つながりを求める感性で、やさしさをあきらめきれない、いのちの響きなのかもしれません。
その声を、どうか置き去りにせず、これからも静かに抱えて歩いていけますように、心から願っております。
わかりあえないままでも、そばにいるという選択を。
そして、ひとりではないという確かさを、ひとしずくでも、そっと確かめていけますように ──
暖かい空気、吸いやすい酸素、緩まる音が生み出し続けていけますように ──
ふわっと、やわらかい灯の中で ──









※ 本記事は実際の体験をもとにしていますが、人物や場面には創作を含みます。現実とフィクションの境目にある、心の記憶をたどったひとつのかたちです。

