―― もう、これ以上は無理だと感じているあなたへ

そんなふうに壊れてしまったのは、決して、あなたのせいだけではありません。

人と人の関係は、とても複雑で、一方だけにすべての責任を負わせることはできません。

時には、自分自身の未熟さや至らなさ、愚かさを感じるときもあるかもしれません。

それでも、その痛みや苦しみは、決して、あなたが一人で背負うべき負担ではありません。

あなたが、そこまで追い詰められるような状況が、長い時間の中で繰り返されてきたのです。

ここで大切なのは、完璧であろうとすることではなく、自分を責めすぎずに、今の自分を少しずつ受け入れていく姿勢。

そして、関係の中で起きた出来事を冷静に見つめながら、あなた自身の心が少しでも安らげる状態をクリエイトしていくプロセスです。

きっと、本当に大切なのは、誰かを責める態度でも、すべてを許そうと無理をする姿勢でもなく――

自分の感情に寄り添いながら、一歩ずつ、丁寧に歩んでいく道のりなのではないでしょうか?

静かな森の中、朝霧が薄く漂い、柔らかな光が差し込む風景画像。

「ごめんね」や「しんどくさせてるかも」で済まされないものがあるとき

信じようとしたから。希望を持ちたかったから。

何度も、何年も、そのたびに後になって優しく謝られてきた。

「ひどいことを言ってごめん」「本当はそんなつもりじゃなかった」

「つらかったんだよ、私も」「いろいろあるんだよ」

そう言われるたびに、怒りや哀しみを呑み込んで、時間の経過と伴にオブラートに包んできた。

何も解決しないままでも、いつかは昇華されますように…と、どこかで思うようにして受け止めてきた。

それでも繰り返された、責任のすり替え、言葉の歪曲、記憶の否定。

踏みにじられても耐え続けてきたのは、本心では関係を壊したくなかったから。

何かが変わるかもしれないと、願っていたから。

それでも、何度も裏切られた。

静かな森の中、朝霧が薄く漂い、柔らかな光が差し込む風景画像。

言葉では「ごめんね」と言われても、態度も言動も関わり方も… 何も変わらない。

どれだけ順をおってかみ砕いて話ししても、あたかも自分ばかりが感情的で、まるで被害者意識が強すぎるかのように扱われる。

まるで、自分の感受性のせいで、関係が壊れていったようにさえ思わされていく。

「ごめんね」・「しんどくさせてるかも」・「そう思わせてしまって」…

――その言葉たちに、否定や軽さを感じてしまうのは、なぜだろう。

表面だけの反省に見えてしまうのは、実際に「何かが変わった」という実感が持てなかったからかもしれない。

「考えてるよ」・「向き合いたいと思ってる」・「今は言わない方がいいと思った」

――それらは、無視でもなく、冷たく突き放すわけでもない“中途半端な距離感”でありながら、 実際には棚上げで、関係性の中にあった不公平な偏りや不均衡をそのまま放置する行為でもあった。

いずれ、ほこりまみれになってしまい、目先の楽しさのざわめきと煌めく光の中で、まるで見えなくなっていく感覚すらあった。

ほんとうに感じていたなら、ほんとうに大切に思っていたなら、「言葉だけ」では済まないはずだったのではないだろうか?

関係を見つめ直すための言動や行動が、苦しくても伴っているはずではないのだろうか。

大切なのは、反省している「ふり」を続ける態度でも、ただ時間を置きながら何も見つめ直さず、流されるままにやり過ごし、同じ苦しさに身を委ね続けるような在り方でもないのに…。

けれど、多くの人が私も含めて、相手の痛みではなく、自分のつらさにだけ目を向けてしまう。

「傷つけてしまった」という罪悪感よりも、自分が傷ついたという思いばかりが心を占めてしまう。

―― でも、それは結局、世界をどんどん狭めてしまって、自分自身をも苦しめる道になってしまうのに…。

その間、ずっと、壊されている身体がある。

静かに、でも確実に、心の奥に残る痕跡として…。

何度も、こちらから距離を取ろうと、不器用でも試みてきた。

けれどそのたびに、話を持ち出すと、まるで開き直るような態度で返されたり、逆に責められたりする。


「また、その話?」「バッカじゃないの

「はぁ…」

そう返されるたびに、哀しさが増すばかりだった。

逃げたかったのは、こちらだって同じだった。

それでも壊したくなくて、信じたくて、逃げずに向き合おうとしてきた気持ちさえ、何度も踏みにじられてきた。

その過程で、自分の中の尊厳すら少しずつ削られていった。

本心では分かろうともされない。それがいちばん、つらかった。

静かな森の中、朝霧が薄く漂い、柔らかな光が差し込む風景画像。

「一見、何もされてないように見せることが出来る時」ほど、深く傷つける場合がある

声を荒げられることもある。

氷のように冷たい目で罵られることも、罵倒されることもある。

けれど、そうした直接的な言葉たちが続いた後に、一見すると穏やかで、暴力的な雰囲気など微塵もない“やり取り”に移り変わって、トーンを変えては心を削るような言動も繰り返されてきた。

まるで、忘れてしまうのか、何もなかったようにすり替わって扱われてしまう…

それが、どんなに深く人の心を置き去りにするか、言葉ではなかなか伝えられない。

怒鳴られたり、侮辱的な言葉を投げられても、「そこまで大ごとじゃない」「ただの言い合いだった」といった形で、部分的に切り取られては言い換えられてきた。

誰もがその場にいたわけではないからこそ、 あとから冷静に振り返る第三者の目には、「そんなに大変な関係には見えない」という印象が残るかもしれないことに、理不尽さすら感じてしまう。

物理的な暴力がなければ「たいしたことではない」と扱われやすい社会で、静かに進行する言葉の暴力や無視、責任のすり替えは、見えない傷として、心の奥に刻まれていく。

怒りが爆発した後に、さっぱりしたのか、急に優しい言葉を投げかけられる。

 「ひどいことを言ってしまって、ごめんね」「本当は大切に思ってる」

その言葉にパターンだと分かっていても、何度も惑わされる。

こちらから仕掛けたわけでもなく、先に壊されてきていたのに、逆に「わたしの方が悪かったのかも」と思ってしまう。

そうして混乱と恐怖の渦の中で、身体と心が引き裂かれてきたのだ。

その混乱は年月を経てもなお、夢に現れたり、特定の言葉や状況で身体に反応としてフラッシュバックしてくる。

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「ここにいる自分」を、どうか見捨てないで

今、身体が震えていてもいい。

言葉が出てこなくてもいい。

逃げたいと思っても、ほんとうは「わかってほしかった」ことが、たくさんあるはずだ。

わかってもらえなくて、伝わらなくて、それでも何度も伝えようとしてきた。

だから、どうか、自分自身を責めないで。

せめて、今日という日を、あなた自身の手で、なんとか抱きしめてほしい。

 「いま、ここにいる」

それが、何よりも大切な事実なのだから。

静かな森の中、朝霧が薄く漂い、柔らかな光が差し込む風景画像。

誰にも責任を、すり替えられない場所で

ときに私たちには、「お互いさまだよね」と、ごまかされない居場所が必要です。

「どちらも悪かった」という言葉で、これまで踏みにじられてきた時間や経験が帳消しにされてしまうのは、ケースによっては明らかに不公平な扱いとなります。

そこには偏見やごまかしが混じり合い、事実がねじ曲げられてしまっていた場合も少なくありません。

「加害」と「被害」という単純な二元論では説明しきれない複雑な関係性のなかで、実際にあった苦しみや痛み、侮辱や罵倒の数々は、お互いのために無かったことにしてよいものではありません。

あなたが受けた傷は、ひとつひとつ今も、どこかで疼き続けていると感じていらっしゃるのでしょうか?

「あなたにも原因があるんじゃない?」

「相手も、きっと、つらかったんだよ」

そうした言葉にも、一理はあるでしょう。

全く寄り添ってこない、一見すると中立的に見えるそれらの言葉は、実は一般的な話に流してしまったり、あなたの心に責任を負わせようと、一方的に投げかけられていたのかもしれません。

静かな森の中、朝霧が薄く漂い、柔らかな光が差し込む風景画像。

でも、あなたは知っています。

すべてを説明などしきれなくても、透けて見える理不尽さのような、何かを感じ続けてきています。

どれほど言葉を尽くしても届かなかった、あの日のこと。

何度も歩み寄ろうとしては、冷たく踏みにじられてきた心の深い部分。

泣くことすら許されなかった夜の、呼吸の浅さや胃の痛み。

そして、どこにも逃げ場がなかった、あの時間の苦しさを。

静かな森の中、朝霧が薄く漂い、柔らかな光が差し込む風景画像。

誰にも責任をすり替えられない場所。

存在しなかったことにされない居場所。

「どちらが悪いか」を裁くのではなく、「何が起こってきたのか」を真摯に見つめられる場所。

そこに身を置くことは、ときに恐ろしく、苦しいかもしれません。

けれど、その場所でこそ、本当の意味での回復と再出発が始まるのだと思います。


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