それが傾聴セラピーのはじまりです。

たとえば、窓辺にやわらかな春の光が差し込む午後。

ストーブの上で湯気の立つポットの音に耳を澄ませながら、ゆっくりと深呼吸をして、心の奥にそっと手をあててみるような時間。

その体験のなかで、忘れていた自分の声や感覚にそっと気づき、心の奥に眠る癒しや再生の力が、静かに目を覚ましていく──

ほんわか倶楽部は小さくとも、そんな大切な『はじまり』の場でありたいと願っています。

「大丈夫」って、つい言ってしまうとき──

その言葉の奥に、まだ声になっていない気持ちが、静かに息づいているのを感じるときがあるかもしれません。

外は少し冷たい風。

けれど、この部屋のなかでは、湯気のようにことばがほぐれて、ゆっくりと話しながら、少しずつ言葉が芽生えていく──

不思議と、そんな体験が訪れやすい… 傾聴セラピー。

たとえば、木漏れ日が差し込む窓辺や、あたたかいお茶を手にした静かな時間のなかで──

「話してみようかな」と感じるときが訪れたら、私たちは、あなたの心の声に、そっと耳を澄ませて寄り添います。

この小さな場が、季節のうつろいのようにやさしく包む、「ほんわかできる場所」となりますように──

そんな願いを、そっと込めながら……

心がふっと軽くなるような、風がそよぐ午後の縁側で、そっとひと息つくような──

そんな小さな間(ま)が傾聴セラピーを通じて、ふいに訪れたとき…

もし、そのそばに私たちがいて、そっとお手伝いができたなら──

かけがえなく… 嬉しく思います。

「多様性」や「ダイバーシティ」という言葉が広く語られるようになった今もなお、人と人とのあいだにある「寛容」や「理解」のあり方は、社会全体として、まだまだ模索の途上にあるのかもしれませんね…

複雑に絡み合う悩み… 葛藤… 失望… 声にならない声…

癒えることなく、積み重なるストレスや痛み……

誰にも言えず、受け取められるときもなく、ただ抱えてきた痛み ──

そうしたものを、今この瞬間も、ひとりで抱えている方がいらっしゃるかもしれない…。

切実な想いに静かに向き合いたいと、私たちは願っています。

ほんわか倶楽部の傾聴セラピーは、「話さなければならない場」ではありません。

思うように言葉にならない時間も、話すことに戸惑うまなざしも──

そのすべてが、大切なプロセスだと私たちは感じています。

無理に動こうとせず、たたずむ時間そのものが大切な一歩になるプロセスもあります。

そうして、ふとした瞬間に口をついて出る、たったひとこと。

そのひとことを口にしてみようとする気持ちの奥に、長くしまい込んでいた想いが、確かに息づいているときがあります。

それは、ただの「きっかけ」ではありません。

心の奥底に静かに眠っていた、大切なものが動き出す兆し──

わたしたちは、感じ入るように、じっくりと聴きます。

分析も評価も、急ぐことも、導くこととも違う、

まったく別のところで、ただたたずむことの大切さを実感しています。

ただそこに、ともに在る時間を選びます。

語られた言葉とともに、ときに沈黙のまま過ぎる時間の中にも、静かな手触りで宿ってくるものがあります。

誰にも打ち明けられなかった気持ちを、そのままに感じ合える時間が、もしほんの少しでも訪れたなら──

ゆるやかに、心の重さがゆるめられていく流れが人にはあります。

それは、何かが"解決"するというよりも、"なくなる"というよりも… たとえ"抱えたままでも"…

奥深くにある力が、少しずつ自らのペースで目覚めていく、静かな地殻変動のような…

それこそが、"ほんとうの意味での回復"へのはじまりであると、じわじわと響くように、しみ込んできた実感から信じています ──