村田 敦(運営者)

○ 私自身は、どのような人間なのか?

起業独立

 

起業独立するまでは、主には、出版業界・福祉業界・飲食業界で働いてきました。

起業前には交渉力を身につけるためにも、キライな営業職も勤めた時期がありましたが、それらの中で得てきたご縁から、通信サービス業で起業を開始(1999年)しました。

その後、二年を過ぎてから、自らの実績を上げる土台としたマーケティング活動をベースにマーケティング支援事業を始め、僭越ながらおかげ様で、いくつかの実績は挙げさせていただいてきました。(現在のプロファイル

起業当初から、いずれ、メンタルに関する事業を行いたいというのは、それ以外の業務をしていても、常に傍らにあり続けて消えない想いでとしてあったのは、やはり生育歴の背景があったかと考えられます。

「メンタルに関することをしたい」が消えなかった背景

私は幼少時、人の数より牛の数のほうが多い、のどかと言える北海道の田舎町で育ち過ごしました。

緑も多く、海も近く、温泉もあり・・・連続ドラマの『北の国から~遥かなる大地より~』の舞台背景と同じような(実際、近い)土地で育ってきた、あの日々もよく思い出されます。

大人となった今ではとても話しやすいと言っていただけますが、子どもの頃は、とても人との関わりに抵抗が強い育ち方をしたと思います。

私は子どもの頃、いつまでも言葉がうまく発音できない症状があり、自分の名前も上手く言えなかった過去でした。

要因は、家庭環境の影響から心因性のものではないか、と専門機関に言われていたようです。

知能には何の問題もないと診断を受けていたため地元の普通学級に通っていたものの、公認の早退をしながら後述する言葉のトレーニング施設にも通うという、子どもは小さな田舎町では珍しい存在で私のみでした。

私は意図せず、小さい町でイヤな意味での有名人になっており、私の顔は知らなくても私の名前を知っている人は、その町では多かったようです。

言葉が発音できるようになるための専門機関でのトレーニングを、6年間ほどみっちりと受けてきました。

みっちりとは言いましても、その専門機関の先生はとても優しく穏やかで、その分野での知見にとても長けていた稀有な方だったように思えます。

今でもハッキリと表情や声・雰囲気などが思い浮かべられるぐらい、暖かい存在だった印象の記憶があります。

そのかいもあり、中学生になる頃には日常会話に大きな支障はなくなり、成人した頃には、すっかり話せるようにまでなり、もう自分からその過去を言わなければ、誰からもそのような時期があったとは思われないようになりました。

結果だけ見れば「良かった」と言えるかもしれません。たしかに自立して社会を生きるためには…。

「~でなければ」への囚われから

望むと望まざるとに関わらず、「話せ " なければ "、まともに受け止められない」という感覚を強く持つこととなり、「そのままでいいんだ」という自己受容に進むには、その後、長い年月を要することとなりました。

自分のことが周りに伝えられない、もどかしさ、感じた悔しさ、情けなさは子ども心に今でも忘れられない記憶となっています。

それだけに人のことをよく見てきていたのかもしれません、と言いますより、人の顔色に敏感だったのだと思います。

正直、どれほど「なぜ、自分だけが…」と、子ども心に思ったか分かりません。

どれだけ「普通」に生まれて、「普通」に育ちたかったか、「なんで?!」と、何度も親にぶつけて苦しめてしまったか…。

様々なものを植え付けられたと同時に、私の言葉への特性を伸ばす礎(いしずえ)ともなり、話せなかった分、言葉に対する感覚だけは急成長したようです。

国語だけは教科書を読むだけで、トップの成績なんてザラに取れました。

その後、18歳で進学のために東京に出て、ライター系の学びと実践をしていく活動の中で様々な方と関わり、良い意味でのカルチャーショックも受けてきたように思います。

自分が、いかに狭い価値観の中で生きてきていたかを感じることが、リアルに多くありました。

何より、子どもがハンディを持っていたとしても「そのままでいいんだよ」という姿勢を貫き通している親の方々との出逢い、その姿は、私にとって救いのように見えました。

これは決して、言葉だけの口先だけのキレイゴトではない本音のリアルです。

世間から、教育機関から反発を受けようと、本当にそうしている姿を何度も見て触れるたびに、私の中で凝り固まってしまっていたものが、次第に大きく音を立てて溶けていきました。

その姿を見ていて、私は、ありのままを、おそらく、かなりの度合いで受け止められずに育ってきていたほうだと気が付き・実感しました。

「ありのまま」・「そのまま」…

仮に言葉として知っていたとはしても、リアルには全く感じられてられてなかったと思います。

この出逢いがなかったら、私はどんな人生を歩んでいたかと思うと怖くもなってきます。

言葉が話せるから、○○が出来るから許される・受け入れられる、ではないはずなのです。

○○になれば愛される、ではないのです。

そんなことも感じつつ社会人としては、出版社で働いたり、バーテンダーをしたり、福祉関係で働いたり、転職して料理人になっていったり…いくつかの職種を経験してきました。

仕事の厳しさを体感しながら、様々な方とも関わりブレークスルーも重ねてきました。

その間、多くの孤独と苦しみ、生き辛さを感じ苛まれた時期も続き、生きるためにメンタルの学びも重ねてきました。

この長年の間に、少しずつ在り方が創られていって、メンタルに関することや表現への想いの私なりのベースになっていったのかと思われます。

今は、まだまだ至らなさを感じることが多いですが、日々、少しずつでも成長させていきたいと取り組んでおります。

拙文ながら長くなりましたが、ご通読いただき、本当にありがとうございました。

※ 名前については「村田努」が本名ですが、名は体を表すと言いますように画数(運気)を考え「敦」としております。
「敦」は旧仮名遣いで「つとむ」と読めるため、読み方は変更前と同一と解釈して使うことにしております。

○ 保有資格・受講履歴など

合同会社 実践マーケティングセンター 代表社員

○ MMS 瞑想インストラクターベーシック

○ MMS コミュニケーションデザイナー

○ MMS 価値観ファシリテーター

○ TMD『繋がる傾聴・俯瞰講座』『繋がる傾聴・実践講座』
『プロフェッショナル講座』・『エキスパート講座』受講修了
(TMD:セラピーモデルデザイナー)

○ 他、主に傾聴や心理カウンセリングに関する、様々な講座やワークショップなども継続受講中です。


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