実際の声 >>「やっと、まともに聴いてくれる人に繋がった……」

生きていると、
胸の奥に、重たい息苦しさがそっと降り積もっていく瞬間があります。

言葉にならない痛み。
誰にも届かないような孤独。

それらは、日々の中に静かに紛れながら、
いつの間にか、心の奥をじわりと締めつけていることもあるかもしれません。

そんな時、
人は「ただ聴いてもらいたい」と願うことがあります。

何かを言ってほしいのではなく、
何も言わずに、そばにいてほしい。

ありのままの自分を、否定されることなく、
まるごと受けとめてもらえたなら――

それだけで、ふと呼吸がやわらぎ、
心の輪郭が少しだけ戻ってくる感覚があるかもしれません。

けれど現実では、「励まし」や「アドバイス」の言葉が、
かえって心の負担となってしまうこともあります。

「前向きでいなきゃいけない」
「ちゃんと答えを出さなきゃ」

そんな無言の期待に、心が静かに疲弊していくこともあるでしょう。

すると、内側にある本当の感情が、少しずつ遠のいていきます。
気づけば、自分自身が自分を見失っている――そんな感覚さえも。

私たちが大切にしている傾聴は、
「否定しない」「評価しない」といった関わり方にとどまりません。

それは、聴く側自身の心も静かに感じ取りながら、
目の前の人の声に丁寧に寄り添っていく営みです。

聴く人もまた、自分の内側に揺れやざわめきを抱えていて、
それを完全に手放すのではなく、
むしろ、その揺れを自覚しながら「ともに在る」ことを選ぶ姿勢。

それは、完璧でも純粋でもありません。
ただそこにあるのは、
互いの不完全さを含みながらも、大切に向き合おうとする静かな関係性です。

まるで、風のない朝に湖面へ落ちる一滴の水のように、
小さくとも、たしかに波紋が広がっていく時間。

この場は、「わかってほしい」でも、「わかるよ」でもない場所とも言えるのかもしれません。

たとえ言葉にならなくても、
たとえ沈黙が続いても、

ただそばにいる。
ただ「いま」を共にする。

そのことが、どれほど心を解きほぐしていくか、
言葉では言い表せないやさしさがあります。

窓辺に差し込む柔らかな光が、
部屋の空気をゆっくりあたためていくように。

ひと呼吸、深く息を吸って、静かに吐き出すその合間に、
心のざわめきが少しずつ落ち着いていくような時間。

そのままでいていいんだと思える瞬間。
そんな時間が、ここにあればいいと願っています。

「分かり合う」という言葉にこだわる必要も、
「理解しよう」と頑張る必要も、ないのかもしれません。

わからないままでも、そばにいること。
それだけで築かれるものがあると、私は信じています。

どうか、自分の心の声を、
ゆっくりと聴き届ける時間を持てますように。

誰かと比較することなく、
自分のペースで、深く静かに生きていくことができますように。

その先に、少しずつでも
心の奥にやわらかなあかりが灯っていくことを、願っています。