『話せない』という心の何か…
村田 敦（つとむ）
午後の光が揺れる部屋で、彼女の声が静かに震えた。
「話したい。でも、できない…」
その呟きは夜明け前の空気のように静かで、深い寂しさを孕んでいた。
心の底からの叫びが、孤独な涙とともにひそかに零れているのを感じた。
私は椅子に座りながら、彼女の言葉の重みをひとつひとつ受け止めていた。
表情の微細な変化、顔色のくすみ、声の震え、息づかいの揺らぎ。
指先は緊張でわずかに震え、カップの縁をそっとなぞりながら、無意識に過去の傷を撫でるような……
その仕草が、彼女の抱えきれない感情を映し出すようにも感じられる時間だった。
こうしたときには、私は何度も自分の無力感に打ちのめされてきた。
胸の痛みを抱えたまま、閉ざされた世界の中で切ない希望を見失いそうになる。
誰かの心の奥底に触れようとすればするほど、その深さに圧倒されて、言葉が届かぬ想いに空回りし、どうすればその人の孤独を和らげられるのか分からなくなる。
時には、目の前の沈黙に押し潰されそうになり、無駄な強がりを自分に言い聞かせるときもあった。
けれど、その無力さの中に、絶望的な優しさがあるのも感じて来た。
言葉にならない感情を抱え、心の隙間に傷を隠しながらも、そこにただ静かに存在し続ける。
誰かが「ひとりじゃない」と感じる、その瞬間を紡ぎだすときこそが、きっと真髄のように思えて……。
彼女がカップを回す指先は、まるで触れられない距離を探るかのようで……
足のつま先がそっと床をなぞる動作に、過ぎ去る時間の中で消えない思いと迷いが滲む。
彼女の内面は、冬の木の根元にひそむ氷のように固く凍りついているけれど、その下には確かな生命の輝きが潜んでいるようにも、じっと感じ入るようにしていると、いつしか感じられてくる。
「拒絶されたくない」
その恐れは、過去の傷と絡み合い、まるで冬枯れの樹木の冷たさのように彼女の心を守りながらも、同時に孤独を深めているのかもしれない。
彼女の瞳には泣きたいけど泣けない悲しみと、あきらめきれない愛しさが揺れている。
私がこの活動を続ける理由は、そんな抱える重い日々や消えぬ記憶を共に感じて入り、見守るプロセスにある。
言葉が出なくても、その沈黙に耳を澄ます。
沈黙の中でこそ、本当の対話が生まれ、心を揺さぶる旋律のような瞬間が訪れるのを実感から感じて来た。
そして、自分自身も時に迷う。
どこまで寄り添い、どの瞬間に距離を置くべきか。
終わりのない夜のような不安と、空しい戦いの繰り返しの中で、見えない未来に立ち止まる瞬間もある。
けれど、彼女の瞳にかすかな光が戻ったその時、私の中にも小さな光の先に希望が差し込むのを感じる。
生きていく困難さと、その中で繋がる温もりのような、なにか。
まるで、冬の終わりに凍てついた大地から芽吹く儚い一瞬の緑のように、静かで確かな命の輝きのような……
その日の空気は、いつもより少し柔らかく感じられた。
風が窓辺のカーテンを揺らし、湿った土の匂いがほんのりと部屋に漂う。
外の世界は変わらず忙しなく動いているけれど、この小さな部屋の中だけは、時間がゆっくりと流れていた。
「話せない」という壁は厚く、時に抜け出せない暗闇のように感じるけれど、その向こう側には確かな愛のかけらが散りばめられているのではないかな…
その愛を見逃さず、誰かに届けたい言葉を抱えながら、私は今日も椅子に座り続ける。
※ 本記事は、特定の個人やセッションの具体例をもとにしたものではありません。
登場する名称や状況はすべて架空のものです。
