沈黙の奥で揺れているもの――
言葉にならないものと 伴にいる夜
「どうして、そんなに黙ってるの?」
そう問いかけられたとき、なにも言えなかった。
言えないのではなく、言葉が出てこない。
何を言えばいいのかわからない。
何を言っても届かないような気がする。
あの夜のことを思い出す。
薄暗い部屋の中、テレビの音だけがやけに大きく響いていた。
同じソファに座っていても、そこには深い谷のような距離が横たわっていた。
「……別に」
かろうじて口からこぼれたそのひとことすら、相手の表情を曇らせてしまう。
「ああ、また誤解させてしまった」
そう思った瞬間、胸の奥がチクリと痛む。
でも、もううまく説明できない。気力が湧いてこない。
説明しようとするたびに、喉がギュッと締めつけられるような感覚。
うまく息ができず、頭の中は霞がかかったようにぼんやりする。
伝えたい想いがないわけじゃない。むしろ、ありすぎて言葉にできない。
「どうして、こんなに苦しくなるんだろう…」
心の奥で、静かな叫びが震えている。
*
沈黙がつらいのは、そこに何もないわけではなく、言えなかった感情たちが、ずっとそこに居続けているからだ。
言葉にならなかった悲しみ。
打ち消した怒り。
置き去りにされた不安。
それらが沈黙の底で、じっと息をひそめている。
夜が深くなるにつれて、その沈黙たちは姿を変えて、身体の一部に染みついてくる。
肩の重さ。
首のこわばり。
背中を伝う冷たいもの。
だれにも見えないその痛みは、まるで冬の川の底に沈んだ小石のよう。
誰かにすくいあげられることもなく、光の届かない場所で、じっと存在している。
「どうして、こんなにも分かってもらえないんだろう」
そう思う自分を、責めたくなるときもある。
でも。
ほんとうは、ただ一緒にいてほしかっただけだ。
無理に言葉を引き出すんじゃなくて。
理由や意味を求められるんじゃなくて。
ただ、あの沈黙の中に、誰かのあたたかさを感じられたなら。
その夜は、もう少しやさしくなったかもしれない。
誰かの腕の中で泣けたなら。
意味なんてなくても、声にならない想いに、ただそっとうなずいてもらえたなら。
その静けさは、痛みではなく、安らぎだったかもしれない。
*
沈黙は、ただの「無言」ではない。
そこには、まだ語られていないたくさんの命のようなものが、息づいている。
そのことを、どうか忘れずにいたい。
言葉が見つからない夜も、何も言えずにただ震えている朝も。
「今はまだ話せない」
そういう時間も、生きているということの一部だから。
言葉にならないものと、静かに共にいる時間を、
誰にも知られずに過ごす夜が、少しずつ、心の奥の氷を溶かしていくかもしれない。