沈黙の奥で揺れているもの――

言葉にならないものと 伴にいる夜

「どうして、そんなに黙ってるの?」

そう問いかけられたとき、なにも言えなかった。

言えないのではなく、言葉が出てこない。

何を言えばいいのかわからない。

何を言っても届かないような気がする。

あの夜のことを思い出す。

薄暗い部屋の中、テレビの音だけがやけに大きく響いていた。

同じソファに座っていても、そこには深い谷のような距離が横たわっていた。

「……別に」


かろうじて口からこぼれたそのひとことすら、相手の表情を曇らせてしまう。

「ああ、また誤解させてしまった」

そう思った瞬間、胸の奥がチクリと痛む。

でも、もううまく説明できない。気力が湧いてこない。

説明しようとするたびに、喉がギュッと締めつけられるような感覚。

うまく息ができず、頭の中は霞がかかったようにぼんやりする。

伝えたい想いがないわけじゃない。むしろ、ありすぎて言葉にできない。

「どうして、こんなに苦しくなるんだろう…」

心の奥で、静かな叫びが震えている。

沈黙がつらいのは、そこに何もないわけではなく、言えなかった感情たちが、ずっとそこに居続けているからだ。

言葉にならなかった悲しみ。

打ち消した怒り。

置き去りにされた不安。

それらが沈黙の底で、じっと息をひそめている。

夜が深くなるにつれて、その沈黙たちは姿を変えて、身体の一部に染みついてくる。

肩の重さ。

首のこわばり。

背中を伝う冷たいもの。

だれにも見えないその痛みは、まるで冬の川の底に沈んだ小石のよう。

誰かにすくいあげられることもなく、光の届かない場所で、じっと存在している。

「どうして、こんなにも分かってもらえないんだろう」

そう思う自分を、責めたくなるときもある。

でも。

ほんとうは、ただ一緒にいてほしかっただけだ。

無理に言葉を引き出すんじゃなくて。

理由や意味を求められるんじゃなくて。

ただ、あの沈黙の中に、誰かのあたたかさを感じられたなら。

その夜は、もう少しやさしくなったかもしれない。

誰かの腕の中で泣けたなら。

意味なんてなくても、声にならない想いに、ただそっとうなずいてもらえたなら。

その静けさは、痛みではなく、安らぎだったかもしれない。

沈黙は、ただの「無言」ではない。

そこには、まだ語られていないたくさんの命のようなものが、息づいている。

そのことを、どうか忘れずにいたい。

言葉が見つからない夜も、何も言えずにただ震えている朝も。

「今はまだ話せない」

そういう時間も、生きているということの一部だから。

言葉にならないものと、静かに共にいる時間を、

誰にも知られずに過ごす夜が、少しずつ、心の奥の氷を溶かしていくかもしれない。