ここにいるのに、どこにもいないような――
存在の影がゆれるとき
「ごめんね、ちょっと考えさせて」
そう言って、そのまま返信しなかったメッセージの画面。
既読がついたまま、もう何日も経っている。
言いたいことがなかったわけじゃない。
ただ、どの言葉も遠くて、重たくて、手のひらから零れ落ちてしまいそうだった。
どうしても言葉にならない時間がある。
誰かと話すことが、もうすでに疲労になってしまう時間帯がある。
誰にも責められていなくても、自分を責める声だけが、ずっと、胸の奥で響いている。
「こんな自分じゃ、誰のそばにもいられない」
「また黙ってしまった」
「また逃げてしまった」
そうやって、自分で自分を突き放していく。
心の中に、居場所を追われるような感覚だけが積もっていく。
部屋の中は静かで、生活音はちゃんとあるのに、なぜか音がしない。
時計の針の音すら、どこか遠くに感じられる。
壁にかけたカレンダーだけが、日付を進めていく。
そして、ふと気づく。
自分の気配が、部屋のどこにも見つからない。
呼吸はしている。身体もここにある。
なのに、どこにも「自分」がいない。
誰かにわかってほしかった。
でも、それ以上に、自分にすら、何が起きているのかがわからなかった。
心の奥では、確かに何かが揺れている。
けれど、それをつかまえるには、手が冷たすぎた。
感情の輪郭が、ぼやけていて、形にならない。
あたたかさを欲しがる気持ちと、
誰にも触れてほしくないと願う気持ちが、
同時に存在して、交わらずにぶつかり合っている。
眠れない夜に、ベッドの中で何度も寝返りを打つ。
どこにも落ち着けないまま、時間だけが流れていく。
カーテンの隙間から、街灯の光が薄く部屋を染める。
孤独、という言葉では足りない。それは、どこか感傷的すぎて。
これは、もっと生々しく、もっと言葉の外にあるものだ。
たとえば、誰かと話していても、心がそこにいないような感覚。
たとえば、自分の声が自分のものじゃないように思える瞬間。
たとえば、笑っているのに、心の奥で冷たい波が満ち引きしているとき。
そのどれもが、今ここで起きている。
でも、誰にも見えない。伝えようとしても、どこか違ってしまう。
誰かの「大丈夫?」が、なぜか遠くて、届かない。
優しさにさえ、うまく応じられない。
感謝したいのに、うまくできない。
そういうときは、もうただ、呼吸をしているだけで精一杯だ。
ただ、そこに存在していることが、ひとつの戦いのように感じられる日もある。
「ちゃんと生きてるよ」なんて、そんな簡単な言葉では追いつかない。
生きてる、という実感すら、時折、手の届かない彼方に流れていってしまう。
だからせめて、そういう感覚があることを、否定しないでいられたらと思う。
今、ここにいる。
でも、どこにもいないように感じる――
そのことすら、何か大切なことのしるしかもしれないのだから。