「もう何も言いたくない」と感じてしまう日も、

「……もういいや」

そう呟いたのが、何回目だったか、もう覚えていない。

スマホを伏せたまま、テーブルの上に置いて、背もたれにもたれかかる。

既読も未読も、どうでもよくなってしまったような、そんな夜。

伝えたかったはずなのに。

本当は、ちゃんと話したかった。

でも、何度も、うまく言えなくて、

何度も、微妙なズレのまま終わってしまって、

もうこれ以上、どうしたらいいのかわからなくなった。

「言えばよかったのに」

「ちゃんと伝えないとわからないよ」

そう言われることもある。それが正しいことだって、頭ではわかってる。

だけど、わかってるのに、言えない。

それでも話さなきゃ、と無理をして、心がすり減って、とうとう声が、出なくなった。

喉の奥が、きゅっと硬くなっていく。

息は通っているはずなのに、感情がのった言葉だけが、出てこない。

まるで声帯のまわりに、見えない棘がつきささっているように感じる。

「もう何も言いたくない」

そんな気持ちになるのは、投げやりだからじゃない。

あきらめたからでもない。

むしろ―― 何度も伝えようとした、その証かもしれない。

何度も「わかってもらおう」と願った、その名残かもしれない。

何も言いたくない日は、きっと、心がまだそこにいてくれている証拠でもある。

もうこれ以上、傷つきたくないから、

もうこれ以上、自分をすり減らしたくないから、

言葉の扉をそっと閉じる。

外に向かうのをやめて、自分のなかの静かな奥へ、静かに沈んでいく。

そこで、やっと聴こえてくる声がある。

誰に向けたものでもなく、説明もしようのない、

ただそこにある、感情の名もなきうねり。

泣きたいわけじゃないけど、どこか、奥のほうがずっと冷たくて、かすかに濡れている。

たとえば、それは、誰にも見せていない箱のなかにずっとしまっていた、忘れたふりをしていた記憶。

うまくいかなかった過去、言葉にされなかった願い、理解されなかった感覚。

言葉にしなければ、存在しないと思われることもある。

だけど本当は、言葉にならないものこそ、いちばん確かにここにある。

どうか、それが「ないこと」にされませんように。

黙ってしまった夜にも、たしかにその人の物語が流れていること。

言葉を閉じる勇気のなかにも、命のような感情が息づいていること。

伝えられない日がある。

もう何も言いたくない夜がある。

それでも、その沈黙の底で、心は、呼吸している。