辛い時、話を肯定的に聴いてもらうということ。
ー 過去記事
辛い時、誰かに話を聴いてもらうだけでも、ずいぶんと違ってくることってありますよね。
私も、とても辛いときは沢山あったりして、そんな時に親身に肯定的に話を聴いてもらうのは、とても助かっています。
吐き出すことが大事なんだなぁ、とも思いますが、それは聴いてくれる相手にもよります。
単に吐き出せるというだけでなく、それは相手に心ある親身さがあってこそです。
自分自身に非がある場合で、自分でもそれがわかっていて反省したり強く悔やんでいるのに、わざわざ、何かしら裁くような言葉、キーワードを言われたりするのは、かえって辛くなるだけです。傷口に塩を塗られるようなものです。
そんなことは重々わかっていて、自分でも自分が許せなくて、とても痛い思いに耐えられなくなって話してるのに、傷口に塩を塗られると壊れそうになってしまいます。
大ケガをして入院しているのに安静に療養できず、陸上の大会に駆り出されるかのようなものです。
そうではなく、ただ自分の心身を案じて親身に心を砕いて聴き役に徹してくれる人との話は違いました。
心が解放されて新しい一歩を考えられるようになってきます。
決して、一概には言えませんが、このようなことは案外、身近な友人や家族では、なかなかしてもらえない、できない場合もあるかもしれません。
何かしら、その友人なり家族なりが「こうしたい。こうあってほしい、こういうものだ」などという個人的な思いが混ざり、それが余計な励ましとなり押し付けのようになってしまうことが、ありがちなのではないでしょうか・・・。
「泣き言を言ってはいけない」、「愚痴を言ってはいけない」、「不平不満は何も生み出さない」、「ポジティブ・シンキングが大事だよ」、「もっと、○○のようにしたら、していたら」・・・そんなことはわかっているのです。
わかっていること、何より自身が痛切に悔やんでいることをワザワザ掘り起こされても胸が引き裂かれるようで、落ちる一方です。叱咤激励ではなく、受容してもらうことがどうしても必要なときというのはあります。
どんなに心理学やメンタル系の書籍を読んでも、自分ではどうにも出来ない時というのもあるのではないでしょうか。
私は、とても辛いとき、無料の電話相談サービスも有料の電話相談サービスも、どちらも使ってきました。
無料の電話相談サービスでは、まず、なかなか繋がらず、やっと繋がったと思えば相手もボランティアということで話し相手としての質もまちまちなようです。
固定観念で偏った言動をされ続けるという傷口を塩で塗られることがあり、かえって辛くなったのは忘れられません。
ある有料の電話相談サービスでいくつかお話させていただいてきましたが、やはり、聴く姿勢が違うと感じました。
話を聴いてもらううちに、段々と心が解放されていく感覚を実感できました。
ただただ親身に聴き役に徹し、肯定的に話を聴いてくれる・・・、このことがとても必要な時があります。
求めているのは他人からの答えやアドバイス、注意など自分でも内心わかっていることではなく、ただ受け止めてもらいたい、存在を認めてもらいたい、ただ聴いてもらいたい、それが重要な時があります。
もし、よろしければ…
今回の記事を読んで、心に生まれたものを、お手すきの際に教えていただけませんか?
一度ゆっくりと深呼吸をしてから…
ご自身のペースで、心に浮かんだ感じを、少しずつでもお聴かせいただけたら嬉しいです。
いただいたお声は、毎回、隅々まで目を通して、これからの発信や対話を、より深く豊かにしていくための大切な糧として活用させていただきます。



