私はある時、子どもが生まれて間もない友人から、今度、ゆっくり話がしたいと言われていました。
そこに彼のSOSが含まれていたとは気が付かつきませんでした。
「幸せにやっているんだろう」とばかり思い込み、忙しかった私は、彼とお酒でも飲みながら会いたかったのは山々だったのですが、話をする機会をつくれないまま日々が過ぎていました。
あの時、早いうちに話を聴いてあげられていれば・・・、もしかしたら、その友人は家族を失わずに済んでいたのかもしれません。
彼は、幸せな中でも、悶々とした想いや不安を根強く抱えていたこと、それが段々と問題として表面化していっていたことに私は気が付きもしませんでした。
そのはけ口がまったくないまま日々が過ぎてしまっていました。
そして、しばらくしてから、暖かかった家族との日常を壊してしまった・・・
ということになっていました。
後になって、夫婦二人して頑張りすぎて煮詰まりすぎていたことを知りました。
今や、子どもが生まれたばかりの夫婦の3世帯に1世帯は離婚してしまっているそうですが、彼らも、その1世帯となってしまったのです。
友人は、生涯、とても悲しく辛く言葉に言い表せられない、苦しみを背負うことになってしまいました。
付き合っていた時代から、一緒に暮らしたいとお互い望んで、やっと一緒になれた夫婦でした。
ふたりとも真面目で誠実で、がんばり屋さんで好感のもてる夫婦でした。
待ち望んで、やっと出来た自分たちの子どもを授かり、彼らは当初、とても多幸感に包まれていた毎日でした。
彼は喜んで、またしっかりした口調でよく言っていました。
「この子がやってきてくれたこと、それが自分にとって人生の目的の半分を達したことだと実感している。
あとの半分は、この子を真っ直ぐに、感性豊かに育てること。そのために生きる」と。
しかし、色々と重なり続けたある日、奥さんは娘さんを連れて出ていきました。
彼は色々とあがきましたが、その後の復活は望めないところまで来てしまいました。
生まれたばかりの娘と離れて暮らす・・・、このことが決定的になってしまいました。
人によって受け止め方は様々でしょうが、彼には、どれほどの失望、絶望なのでしょう。
とても痛く、毎日、自責の念や激しい後悔、孤独、哀しみ・・・苦しみ続けることになりました。
食事や睡眠も、まともにできない日々が続いたりもしているほどです。
今でも街やテレビで、赤ん坊や小さい子を連れた家族を見かけると、胸が痛くなったり、目頭が熱くなってしまうようです。
とある日、彼と街をいていた時、赤ん坊、子ども連れの家族とたくさんすれ違わなければならない道を、たまたま歩いてしまったことがあります。
他に脇にそれる道もなく歩き続けるしかないところでした。
彼はなんとかこらえようとしていたようですが、たまらず、彼の目に涙が浮かんできたときには、私はその顔を見れませんでした。
その痛みは私にも、とても重くのしかかってきました。
そのようなことになる前に話を聴いてあげられていたら、もしかしたら・・・違っていたかもしれない。
そう思うと、私にとっても忘れようにも忘れられないものとして、ずっと心に残っています。
なぜ、そう思えるか・・・、それは、彼がかけがえのないものを喪失して絶望から這い上がっていった時のプロセスで、特に重要となったのが、「ただ話を肯定的に聴き続けてもらうこと」だったからです。
● むらた つとむ ●
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